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RAY BASE 〜 今を楽しむ身体へ〜

レイ ベース へ ようこそ!!

原因も解決も、外には絶対にない!

少し、時間が経ってきて、、、

日常が落ち着いてきたので、

親子の構造シリーズを具体的な内容を書くのはもう難しい。



聞かれれば、話せるけれど、、、

文字に起こすのは、もうめんどくさい。←言っちゃった。笑



今回のことは、

親子の構造でもあるけれど、、、

それを利用して、

「自分で自分を認めきった!」

というところが、一番の大きな収穫で。



とてもとても、穏やかです。


今回のことで、

他人と自分との構造がごっちゃになってると、

「自分で自分を認めきる」って絶対にできないことだな、

っていうのはよく分かった。



一粒でも一瞬でも、

そこに「誰か」が入ると、

そこと向かい合うことが出来ない。


何かや、誰かのせいに出来るから。



だから、そこと向き合うその瞬間は、

孤独でしかない。


孤独でしか向き合えない。


何のせいにも、誰のせいにも出来ないところで、

自分の中に深く深く潜っていく。


そうすると、はっきりと「これだ!」って言うのが見つかる。




だから、原因も解決も、

外には絶対にないんだよね。


↑結局、ここに疑いがなくなるために、

ロジックを学んできたようなものだと思う。





ここまでのことを改めて振り返ってみると、、、


まずは、自分の前面しか見えないと言うのと、

(モノの裏側は見えないということ)


見ている「ここ」が「今」で、

常に「今」しかないと腑に落ちる↓


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そうすると、

「ここ」から「何を見ている」か、

自分が見ているもの事を自分に返すようになる。


返すようになるというか、

自分がそうやって見ていて、

それが見えてるだけなんだって自覚せざるを得なくなる。


前側しか見れないとは、そういうこと。






そして、次には、

そこに他者が関わってくる↓。





この図で前側に見ている(関わっている)部分は、

青色の斜線の部分しかないはずなのに。


自分に戻ってくる赤色の矢印→と、

他者が出している青色の矢印→は、

同じ向き。


だから、

自分が見ていることが返ってきてるだけなのに、

他者に見られていることが返ってきているように思う。


「あなたは、こうだよね。」

「普通は、こうだよね。」


そう言われたら、

そうなんだと無意識に受け取っていることで、


「そういうもんだ」

というキャップが出来上がる。


そうすると、

「そういうもんだ」を疑うことなく、

それを基準に周りを見だす。


それは、自分の本心ではなく、、、

誰かの一つの意見かもしれないのに。


だから、

自分が見ていることが見えているんだ、

と分かったら、、、


自分が何を見ているのか?

それって本当にそうなのか?

自分はどう思ってるのか?

本当はどう感じているのか?


一つ一つを自分に戻す。


戻すことで、

自分が何を信じてるのかが明らかになってくる。


そうすると、、、

こうしたい!と思ってたり、

こうだ!と思ってること、

その発想の元自体が、

誰かや何かをベースにしたもので、

自分の本来の欲求ではなかったりする事もいっぱいある。


だから、周りに文句を言いたくなったり、

どんなに頑張っても何か足りない感じがする。


それは、周りのせいではなくて、

自分の発想のベースがすでに他人ベースだってこと。


そこに気付ければいい。


だから、その作業は誰もやってくれないし、

自分で信じちゃったものは、自分で外すしかないから、

そこが一番大変なところかもしれない。



そうゆう思い込みを、

一つ一つ、気づいては、なーんだ!

ってなって、、、

次のに気づいては、なーんだ!

ってなって、、、


って、日常の中のあらゆる場面で無意識にやっているうちに、

どんどん核に近づいていく。


そうすると、

物理世界の中心と、

自分が自分と思っている中心と、

もう一つ、謎の欲求が湧き上がる中心と。笑


なんか、そういうのが分かってくる。



私が望んでるっていうよりは、

頭じゃなくて感覚が選んでて、

それも私といえば私だけど、

私なのか?それ。



みたいな。


それを魂っていわれると、

なるほどって納得できるような。


そういう感じ。


それを図で表現するとこうなって↓






本来、この図の全部が「私」なんだけど、

私が私と思ってる中心(意識)は、

結局、何でもないんだよね。



S1とS3があっての、私。


でも、S1もS3も、

私が居なければそもそもない。


ってそういうこと。



どの立ち位置から「私」を捉えるか。


それによって、

同じ話も取り組みも、

本当に真逆になってくる。




というわけで、

今日は、ここまで!


「整える」って一定にするって事じゃない。

今日は、ヨガっぽい話を。

最近、気づいたことがあるので書いてみます。


ヨガのアーサナ(ポーズ)は、

本来、チャクラに働きかける。

※チャクラって何?っていうと、、、
 肉体でいうところのホルモン内分泌腺があるところ。



ヨガでチャクラを整えましょう!

とか言われたりするけれど、、、


その「整える」の意味というか、

イメージがね、違ってたんだなーって事に気づいた。


整えるっていうと、

何かを一定にするイメージがあって、

ツーーーーと、波のない感じというか。



だから、体調を崩したり、気分が優れなかったりすると、

なんだか乱れてて、

整ってないってイメージないだろうか?



それをヨガで整えなきゃ!みたいな。



だけども、、、

その意識、そのものが逆に抵抗になってて、

波動を乱してる事になってるんじゃなかろうか?と。



そもそも、

月の影響を受けて海の満ち引きが起きるが如く、

身体も自然の物なので、色んな影響を受けていて。


だから、一定なわけがない。


身体の調子も、気分も、その時々で変化する。


で、、、

ヨガでチャクラを整えると、

その自然のリズムと、身体のリズムが合ってくる感じ。


ツーーっと一定になるんじゃなくて、

波があるのが当たり前なんだって分かってくる。



だから、その波(リズム)を感じる。

抵抗するんじゃなくて、感じる。

それの方が、波動が乱れない。



波と同じようにアップダウンしてたら、、、

アップもダウンも、大差ない。


その時々の、点。

その時に居るってだけ。



アップしてる時をキープしようとするから、

ダウンが起こり始めた事を受け入れられずに苦しくなるし、

ダウンの時に無理矢理這い上がろうとするのも、

疲れて苦しくなる。


そしたら、アップもダウンも、どっちも苦しい。

逆に進もうとするから苦しい。



自然界にはリズムがあって、

身体も自然界のものである以上、

その波(リズム)がある。




だから、

良い時ばかり(一定)になるわけじゃないし、

悪い時ばかり(一定)なわけでもない。



整えるっていうのは、

自然のリズムに揃うだけ。

波は波。アップダウン。


自然をコントロール出来ないように、

意思で波のコントロールはできない。


それは、

雨の日が嫌だからって無理やり晴れにしようとするようなもの。

夏の暑いのが嫌だからって無理やり冬にしようとするようなもの。



そうではなくて、、、

整えるっていうのは、

自然のリズムに委ねるって感覚に近いのかも。



そうすると、

雨は雨で良かったな〜

夏は夏であれが出来るな〜

晴れもやっぱりいいな〜

冬は冬でいいな〜


みたいな感じになって、

結局、全部いいんじゃん!


って事になる。笑




ただ、

整える=一定にする

みたいな認識だと、

全然違う事になっちゃうな。



と思って、

以前はそう思ってた気がするな〜と思ったので、

今日の記事を書いてみました!


それでは、また。

久しぶりにロジックのおさらい。宇宙観の話。

親子関係について、、、

最近の私の事象をシェアしながら、

気づいた事を書いている最中ですが。。。


ここで、ロジックのおさらい。



何で、コントロールしたくなるのか?


過去の私が否定されたと感じて、

傷ついたのは、何でなのか?



っていうところを説明したくなったので、

書いてみます。



で、、、

やっぱり、最初に思うのは、宇宙観のところ。








結局、この二つの宇宙観の視点の違い、なんだよな〜と思うわけです。


上が学習してきた宇宙観。

下が自分を中心とした宇宙観。


この二つの視点の違いが分かってるのか?

ってところ。




それで、これがどういう図の違いに発展するのかって言ったら、

上の図の宇宙という球体の空間に地球が浮いてる感覚だと、

この図↓の感覚になっているという事。




宇宙空間に、自分とモノと誰かが居る。

これは、間違ってないんだけどね。


確かに、肉体はこうなってる。


肉体は物質だから、、、

それは、3次元のモノと同じと考えられる。



でも、

もし意識も含めて、こういう感覚だとしたら、、、

中心を「ここ」に戻す必要がある。




それが、最初の図でいうところの、

下の宇宙観。


真ん中の人が、意識の中心。

「ここ」の部分。

そこに意識があって、

そこから、動く周りを見ている。


そうすると、感覚的には、こうなる↓




肉体と意識を一旦分けて考えてみる。


意識って言うのは、

見るとか、認識の起きる点。


そこを私達は「自分」と呼ぶ。


自分の中心は、意識の中心。


その意識は、物質ではないから、

3次元とは言えない、別次元のもの。


だから、3次元の空間と同じ球体で表現できないので、

新しい球体の中心として、図のように表現される。



青い人が自分なら、

右側の中心は「自分の意識の中心」と言える。


それ以外は、皆んな赤い人。

そこには「他者の意識の中心」がある。

自分以外の全ての人の意識は、そこ。


他者の視点には、絶対に立てないのは、

この構造だから。


どんなに毎日一緒に過ごしている人だとしても、

絶対に同じ景色を見ることはできない。


そういうと、

3次元の中にいる感覚の人にとっては、

すごく寂しいことのように思うかもしれない。


でも、それこそ、

自分を自分が認めてない証拠。


誰かに承認されたい証拠。


そして、それは、自分が自分を認めていないから、起きる。



では、その自分が自分を認めてるってどういうこと?

って話。


ここには、自分が二つ出てくる。


それが、魂のこと。



で、自分を自分で認めるという時の、

二つの自分は、自我と魂のこと。



で、その魂っていうのは、一つなの。


意識は、人の数だけあるけれど、魂は一つ。


一つの魂が、

いろんな意識として、

それぞれの肉体を通して体験している。








しまった!



最初に書きたかった、


何で、コントロールしたくなるのか?


過去の私が否定されたと感じて、

傷ついたのは、何でなのか?


の部分を、だいぶすっ飛ばして、

大枠を書きすぎました。


でも、今日は、このままアップしまーす。


細かいとことは、また次回!!


親子の構造⑤父親のコントロール

前回の続き



今回の件の後、

2回父としっかり話をした。


それも、彼が話したいというので、

話をすることになった。



1回目は、仕事の話。


父は、

勤めながら、ヨガの仕事もやればいいんじゃないか?

事業をするって大変な事だよ、と言っていた。



私は、

そういうやり方を散々した結果、

もうどうにもならなくて、今回に至ってるんだけど、、、

って返すしかなかった。



なんなら、普通に勤めれる人が羨ましかったくらいだわって。

そんな風に勤められていいなーと思ってたわって。


でも、私は無理だったよ。

死にたくなるもん。

本当に、生きてる意味を感じなくて、

死んだほうがマシって思えてくるんだよ。


って、伝えた。


父:そんなの考え過ぎじゃないか。


私:そうだよね、そう思うよね。
  
  それは、そこで働ける人だからだよ。

  私は無理なんだよね。

  仕事で引きこもりになったり、鬱になる人の気持ちが分かるもん。

  だって、お父さんは死にたくなるまで思わないんでしょ?

  私は死にたくなる。

  あれも、これも、色々やった。仕事も変えた。だけど、無理だった。

  だから、違う方法を考えるしかないんだよ。

  それを試していくしかないの。

  理解できないかもしれないけど、理解して欲しいとは思ってないよ。


父:理解出来ないわけじゃないけど。。。。




みたいなやり取り。




2回目は、結婚の話。


今回の件で、私がヨガの仕事をメインでしたいと話した時、

結婚をして、それと並行してヨガの仕事もして行けばいいんじゃないかって、

そういう話にもなった。


私の中で、???ってなって。。。

それって、寿退社みたいな意味?って聞いた。笑

結婚に就職するみたいな?そういうこと??


仕事の話と、

結婚をするか、しないかの話。


それが、同じ話題として上がってくる意味が分からない。


だからね、その心理を私なりに理解してみようと思って聞いてたんだけど。


人生設計??って事かなと思ってね。



私、そんなのないんだけど!って思った。


っていうか、生きてきた途中から、設計通りになんて行かない!

って事しか経験して来なかったから。笑


だから、頭で設計するのは無意味だなって。


経験は、今しているものだから。


今思いついたら、それが設計の元になる事あるけれど。

それだって、その時々の状況で変化する。


頭で生きてる訳じゃないじゃん?

感覚で感じてる訳じゃん??


頭で設計した通りに生きるには、

多分、感覚を麻痺させる必要があるんだと思う。


で、そういう積み重ねがね、

誰かや何かをコントロールしたくなる元なんだと思う。



そういうのって、

よくある話。



世の中の「こういうもんだ!」って全部そう。



私は、もう抗うのに疲れたし、自分で自分を認めきった後だったから、

不思議と2回目に対面した父は穏やかだった。


結婚をチラッと勧めて来た時も、

今までよりコントロール感は薄まっていた。


だけど、二言目には、結婚の方法としてお見合いを勧めてくる。


それで、私が父に言ったのは、


私:なんでお父さんが、そんなにお見合いを勧めるのか、わかったよ。

  自分がしてきたことは間違ってなかったって思いたいからだよ。

  私が同じようにしたら、自分がしてきた事を認められるからね。

  だから、私に同じ方法を勧めてくる。

  だけど、私は私の選択をしてるだけだから。

  みんな、その人それぞれの選択をしてるだけだから。

  娘だからといって、それは同じ。

  だから、お父さんが唯一できることは、

  自分はこれで良かったんだって、

  心底思う事しかないよ。

  実際、うちは幸せじゃん。私はそう思ってる。

  

って、伝えた。


お父さんに、そんな事言ったって、伝わるか分からない。

だけど、

私は、思う事をそのまま言っただけ。


結婚しろ、しろって言うけどさ、

それって結婚してないお前はダメだ!って言ってるのと、

同じだからねってことも伝えた。


そんなことは言ってない、、、

って言ってたけどね。笑


いや、思いっきり言ってる事になってるから。

もう、構造上そうなんだよ。



でも、そこの自覚は、ないんだわな〜


自分の思い込みを通して話してるなんて事、

気づかないで発言してるもんね。


言われてるこっちは大変よ。


関係ない他人ならまだしも、、、

親に言われるのが一番キツイから。


ま、それも、受け止めるけどね。

もう、こうなったら自分で言っちゃうけど!


懐深いんだよ、私。笑





そうだ、そうだ!

思い出した!!


私、懐の深い人間になりたかった。

中学生くらいの時から、漠然とそうなりたいと思ってた。


自分の望む在り方なんだな、これって。




ちなみに、

この父親とのやり取りを、先日の大須教室でシェアしたんだけどね。


私が、父親を完全に一人の他人のように見えるようになって、

あぁ、この人も頑張ってきたんだな、

って所を腑に落としたら、、、


父親は、何の努力もなく(背面と向き合う努力ね)

父親が否定し続けてきた背面が書き換わる可能性があるんだって言われた。




で、、、、

思わず出た私の本音は、


え!ズルい!!


だったけどね。笑



あれ?
懐、全然深くない!


まだまだ、深くなれる可能性があるんだな〜。



私が父親を書き変えるって言うよりも、、、

私の中の父親が書き変わるって事だけどね。


さて、どんな景色になるのでしょうか?



いやはや、

親子ってね。

一番の宗教だって聞いた事あるけれど、、、

ほんと、ある意味そうだと思うよ!



と言うわけで、今日はここまで。


親子の構造④ 家族という組織(システム)

前回の続き。


前回の記事で書いたように、

傷ついていた過去の自分を自分で完全に認めてきって。


「あんたは、よくやってきた!」


ってところまで持っていった。



その状態で、

翌日、両親を目の前に、

今の現状と気持ちを素直に伝えてみたんだけどね。



そこで見えたのが、

家族の構造だった。




まず一番に、

私がフリーランスの今の現状では家を借りれなくて、

今は友達の家にいることを説明して、

だから、期間限定で家に戻らせて欲しいと泣きながらお願いしたんだけど、、、

「それは出来ない」

って返答。



これね、なかなかだなーと思った。

帰る場所がないんだって事を、思い知った。



私も実家に戻りたいわけじゃない、、、


だけど、現状を全部説明したところで、

とにかく家に戻ってくる場所ないからって。

(うちは兄家族と同居なので、両親としては兄家族に気を遣って、という意味もあってですが。)



私がそれまで、実家と疎遠になってる状態だったり、

喧嘩別れしてるんだったら、まだ分かる。


でも、全然そうではないし、週1、2回は顔を合わせてる。



だから、私の知り合いからは、

とりあえず、家に戻ればいいじゃん。

期間限定でってお願いすれば、大丈夫でしょって、言われてた。



でもね、言えなかったのは、ここなんだよね。


それとこれとは、話が別なの。


それを何となく、私は分かってたんだと思う。


だから、自分で自分を認めきるまで、

お願いすることができなかった。


それをせずに、この場面を受け入れるのは難しかったと思う。




他にも色々とやり取りする内に、

見えてきた事があった。



両親は、自分を犠牲にしてでも、

家族というシステム(S1)を守ってきたんだなって事。


私の想いやしたい事は、

私にとっては、私そのもの(S2)の部分。



なんだけど、

両親は、それよりもシステムに合わせる事を求める。



そりゃ、当時の私は寂しいし、傷つくのは当たり前だわ。


私より、家族(システム)が大事と明言されたようなものだから。


私が過去にヨガのインストラクターになりたい!と言った時、

否定されたのは、そこの部分。




でも、

彼らは自分のなんらかを犠牲にして、

支えてきたシステムなので、

それと違う事を認められるわけがないんだよね。


他人ではなく、自分の親や子となるとなおさら。

DNAレベルで引き継いでる事だから。



って、いう構造なだけだった。



それぞれが、何を大事にしてるから、こうなってるのか。


私は、それが構造として見えたから、

当時、寂しくなった意味も分かったし、

だけど、それは仕方ない事だとも分かった。

(それには、構造をただ知識として知ってればいいわけじゃなく、、、
 常に、今体験してる現実がそうだってことに疑いがなくなる必要があるけれど。)



だけど、これをただの感情のやり取りだけで切り取ったら、、、

お互いに、否定の見せ合いになるから、、、

修羅場だよ。


別に修羅場もいいけど、意味が分からないまま罵り合いで終わっても、

体力消耗した割に、何も得ない。

(もちろん、そういうことに疲れちゃった先に、気づくこともあるからそれもいいけどね)



だけど、自己否定を何かに投影してる構造に気づかないと、

外側を変えようとしたり、外側に埋めてもらおうと必死になる。


それが、他者へのコントロール。

無理なのに。。。


じゃ、無理だったら、関わらなければいいんですね、

って事でもない。


それも、否定を否定してることに変わりない。



関係性は、望もうと望まないと、

すでにある。


そこに、

自分は、何を見てて、何が見えたか。

自分は、何を感じるのか。


その鏡を利用して、自分にちゃんと返してる?ってこと。

自分の価値観、自分の判断、自分の性格、自分の成り立ち。


それぞれの環境で、異なるそれら。


誰とも、100%共有できることなんてない。

例え、親やパートナーや親友でさえ。


だけど、自分は100%共感してあげられる。


生まれてことのかた、自分以外に立ったことないんだもん。



そんで、細かいデータそのものを共感できなくても、

他者とは、その在り方で共感することはできる。




だから、唯一できることは、、、

あなたがあなたのしていることを自分で認めること。


誰かに証明する必要もない。


ただ、自分にひらすら正直であればいい。



それは、自分を犠牲にするな、とかいうことでもなくて、

そういう方法を自分が選んだんだってことまで、

自覚してるかどうかだけ。




さて、、、

それで、私の住む場所問題はと言いますと。



両親は、家に入れられないけど、

友達の家にずっと居るわけにもいかないから、

早く家を探しなさい、と。


保証人とか、お金とか、

必要なら、それは応じるという話になって。



それで、翌朝、ネットで物件を検索。


そしたら、、、

以前、内覧希望してたけど、埋まってしまってた物件が、

ピョコって出てきた。


あれ?

と思って、すぐに不動産屋さんに電話して、

「以前、内覧希望した時に埋まってた〇〇の物件をネットで見たんですけど、、、」

って問い合わせしたら、

「あー、その物件は契約がキャンセルになったんで、また出してるんです。」

との事。しかも、6月中に入居出来る物件。


次の日には、内覧して、その場ですぐに契約を決めて、

契約審査の方法も、以前聞いた物件の審査方法と違った方法だったので、

両親から保証人もお金も借りる必要もなく、

現状の私の状態で、無事に契約成立!!


それまで無理だと思ってた事が、

数日で一気に流れた。


何か、次の扉が、バーーン!って開いた感じ。



その物件は、5月からスタートしたビーチヨガをやっている海辺にも、

かなり近い場所にある。

山が見えて、朝にはウグイスの鳴き声も聞こえてくる。


色々、物件を探したけれど、

この物件が出てきてくれて、

今は、とても気に入っています。


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まだまだ、親子の構造シリーズ続きます。

今回、見えた事も、感じたことも、いーーっぱいあって。


親が認めてくれない!分かってくれない!

って悩んでる子どもとか。


子どもへの接し方が分からないって親とか。



そもそも鏡の構造って言うけれど、、、

その構造、そのものを理解できたなら、

向き合い方が分かるのになーって思うので、

こうやって、めっちゃ個人的な事まで含めてシェアしてます。