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RAY BASE 〜 今を楽しむ身体へ〜

レイ ベース へ ようこそ!!

カテゴリー "ロジック" の記事

原因も解決も、外には絶対にない!

少し、時間が経ってきて、、、

日常が落ち着いてきたので、

親子の構造シリーズを具体的な内容を書くのはもう難しい。



聞かれれば、話せるけれど、、、

文字に起こすのは、もうめんどくさい。←言っちゃった。笑



今回のことは、

親子の構造でもあるけれど、、、

それを利用して、

「自分で自分を認めきった!」

というところが、一番の大きな収穫で。



とてもとても、穏やかです。


今回のことで、

他人と自分との構造がごっちゃになってると、

「自分で自分を認めきる」って絶対にできないことだな、

っていうのはよく分かった。



一粒でも一瞬でも、

そこに「誰か」が入ると、

そこと向かい合うことが出来ない。


何かや、誰かのせいに出来るから。



だから、そこと向き合うその瞬間は、

孤独でしかない。


孤独でしか向き合えない。


何のせいにも、誰のせいにも出来ないところで、

自分の中に深く深く潜っていく。


そうすると、はっきりと「これだ!」って言うのが見つかる。




だから、原因も解決も、

外には絶対にないんだよね。


↑結局、ここに疑いがなくなるために、

ロジックを学んできたようなものだと思う。





ここまでのことを改めて振り返ってみると、、、


まずは、自分の前面しか見えないと言うのと、

(モノの裏側は見えないということ)


見ている「ここ」が「今」で、

常に「今」しかないと腑に落ちる↓


fc2blog_20190505000055545.jpg


そうすると、

「ここ」から「何を見ている」か、

自分が見ているもの事を自分に返すようになる。


返すようになるというか、

自分がそうやって見ていて、

それが見えてるだけなんだって自覚せざるを得なくなる。


前側しか見れないとは、そういうこと。






そして、次には、

そこに他者が関わってくる↓。





この図で前側に見ている(関わっている)部分は、

青色の斜線の部分しかないはずなのに。


自分に戻ってくる赤色の矢印→と、

他者が出している青色の矢印→は、

同じ向き。


だから、

自分が見ていることが返ってきてるだけなのに、

他者に見られていることが返ってきているように思う。


「あなたは、こうだよね。」

「普通は、こうだよね。」


そう言われたら、

そうなんだと無意識に受け取っていることで、


「そういうもんだ」

というキャップが出来上がる。


そうすると、

「そういうもんだ」を疑うことなく、

それを基準に周りを見だす。


それは、自分の本心ではなく、、、

誰かの一つの意見かもしれないのに。


だから、

自分が見ていることが見えているんだ、

と分かったら、、、


自分が何を見ているのか?

それって本当にそうなのか?

自分はどう思ってるのか?

本当はどう感じているのか?


一つ一つを自分に戻す。


戻すことで、

自分が何を信じてるのかが明らかになってくる。


そうすると、、、

こうしたい!と思ってたり、

こうだ!と思ってること、

その発想の元自体が、

誰かや何かをベースにしたもので、

自分の本来の欲求ではなかったりする事もいっぱいある。


だから、周りに文句を言いたくなったり、

どんなに頑張っても何か足りない感じがする。


それは、周りのせいではなくて、

自分の発想のベースがすでに他人ベースだってこと。


そこに気付ければいい。


だから、その作業は誰もやってくれないし、

自分で信じちゃったものは、自分で外すしかないから、

そこが一番大変なところかもしれない。



そうゆう思い込みを、

一つ一つ、気づいては、なーんだ!

ってなって、、、

次のに気づいては、なーんだ!

ってなって、、、


って、日常の中のあらゆる場面で無意識にやっているうちに、

どんどん核に近づいていく。


そうすると、

物理世界の中心と、

自分が自分と思っている中心と、

もう一つ、謎の欲求が湧き上がる中心と。笑


なんか、そういうのが分かってくる。



私が望んでるっていうよりは、

頭じゃなくて感覚が選んでて、

それも私といえば私だけど、

私なのか?それ。



みたいな。


それを魂っていわれると、

なるほどって納得できるような。


そういう感じ。


それを図で表現するとこうなって↓






本来、この図の全部が「私」なんだけど、

私が私と思ってる中心(意識)は、

結局、何でもないんだよね。



S1とS3があっての、私。


でも、S1もS3も、

私が居なければそもそもない。


ってそういうこと。



どの立ち位置から「私」を捉えるか。


それによって、

同じ話も取り組みも、

本当に真逆になってくる。




というわけで、

今日は、ここまで!


久しぶりにロジックのおさらい。宇宙観の話。

親子関係について、、、

最近の私の事象をシェアしながら、

気づいた事を書いている最中ですが。。。


ここで、ロジックのおさらい。



何で、コントロールしたくなるのか?


過去の私が否定されたと感じて、

傷ついたのは、何でなのか?



っていうところを説明したくなったので、

書いてみます。



で、、、

やっぱり、最初に思うのは、宇宙観のところ。








結局、この二つの宇宙観の視点の違い、なんだよな〜と思うわけです。


上が学習してきた宇宙観。

下が自分を中心とした宇宙観。


この二つの視点の違いが分かってるのか?

ってところ。




それで、これがどういう図の違いに発展するのかって言ったら、

上の図の宇宙という球体の空間に地球が浮いてる感覚だと、

この図↓の感覚になっているという事。




宇宙空間に、自分とモノと誰かが居る。

これは、間違ってないんだけどね。


確かに、肉体はこうなってる。


肉体は物質だから、、、

それは、3次元のモノと同じと考えられる。



でも、

もし意識も含めて、こういう感覚だとしたら、、、

中心を「ここ」に戻す必要がある。




それが、最初の図でいうところの、

下の宇宙観。


真ん中の人が、意識の中心。

「ここ」の部分。

そこに意識があって、

そこから、動く周りを見ている。


そうすると、感覚的には、こうなる↓




肉体と意識を一旦分けて考えてみる。


意識って言うのは、

見るとか、認識の起きる点。


そこを私達は「自分」と呼ぶ。


自分の中心は、意識の中心。


その意識は、物質ではないから、

3次元とは言えない、別次元のもの。


だから、3次元の空間と同じ球体で表現できないので、

新しい球体の中心として、図のように表現される。



青い人が自分なら、

右側の中心は「自分の意識の中心」と言える。


それ以外は、皆んな赤い人。

そこには「他者の意識の中心」がある。

自分以外の全ての人の意識は、そこ。


他者の視点には、絶対に立てないのは、

この構造だから。


どんなに毎日一緒に過ごしている人だとしても、

絶対に同じ景色を見ることはできない。


そういうと、

3次元の中にいる感覚の人にとっては、

すごく寂しいことのように思うかもしれない。


でも、それこそ、

自分を自分が認めてない証拠。


誰かに承認されたい証拠。


そして、それは、自分が自分を認めていないから、起きる。



では、その自分が自分を認めてるってどういうこと?

って話。


ここには、自分が二つ出てくる。


それが、魂のこと。



で、自分を自分で認めるという時の、

二つの自分は、自我と魂のこと。



で、その魂っていうのは、一つなの。


意識は、人の数だけあるけれど、魂は一つ。


一つの魂が、

いろんな意識として、

それぞれの肉体を通して体験している。








しまった!



最初に書きたかった、


何で、コントロールしたくなるのか?


過去の私が否定されたと感じて、

傷ついたのは、何でなのか?


の部分を、だいぶすっ飛ばして、

大枠を書きすぎました。


でも、今日は、このままアップしまーす。


細かいとことは、また次回!!


家族って何だろう。。。

前回のブログ記事後。


あれから、本当に色々、色々ありまして。


(まだ、現在進行中)



自分の傷を自分で見つけて、

完全に癒してから、両親と話し合って。



そうしたら、親も分かってくれましたとさ、

ちゃん、ちゃん。



なんて事には、なりません!!



むしろ、えぐいぐらいの現実を見た。



家族って、何だろうって思うくらいに、

カルマってこういうことの事かって思うくらいに。



私が、どういう中で育てられたのかが、

もうね、あまりに構造にハマりすぎている。



私が何と戦ってきたかってことも、ありありと見えた。



そりゃね、究極引きこもりも生まれるし、鬱にもなるわ。

自分が「誰か」から、承認されようとしてるうちは。



自分を殺して(我慢して)役割にだけハマってしまうと、、、

その我慢は他者へのコントロールに出ます。



それが、親子関係やパートナー関係、上司と部下の関係に現れてる。


誰かや何かのせいにしたくなるのも同じ。



だけど、それをやっているうちは、何も変わらない。

ずっと、コントロール出来ないものをコントロールしたくなる状態のまま。


それって、苦しくないかな?

不毛で、消耗してかないかな?



今後は、ますます、そういう生き方は生き辛いように感じます。


うちは、ものすごく普通の家庭。

むしろ大事に育てられたと思っている。


だからこそ、今回の事で明らかになったことが、

どの家庭でも当たり前に行われていると思うと怖い。




ずっと、ロジックを発信するのにためらいがありました。


なぜなら、ロジックを知っていき、それを試していくという事は、


必ず自分の一番見たくない部分を見ないと行けない場面が訪れるから。


そして、その手前はとてもキツイから。



今は、不景気とは言いながらも日本は裕福で、


そんなことを考えなくても、


楽しいことはいっぱいある。



だから、わざわざそんな事をしなくたって、


楽しく生きていけるじゃんって。



そういう考えの人もいる。


そして、それで生きていけるなら、それは幸せな事だと思う。



だけど、その人が自分で向き合わずに、


我慢したり、諦めてきた部分っていうのを、


その子どもが担っていく。



・その時に、それを応援できる自分であるか?


・それとも、自分を正当化したいために、相手をコントロールしたり、否定するのか?


・子どもに完全に依存する自分であるか?



それは、今の自分の在り方が決める。


それは親子だけじゃなく、どんな関係に向かい合うときでも同じ。



自分で自分を認めるには、

自分で自覚してやってる事を、

うまくいく事もいかない事も、

全部自分で認めていくって事。



私は、今回、こんなに何もない状態になるまで、、、

そこに向き合うことはできなかった。


それくらい、深く深く傷ついていて、

なんども認めてきたはずなのに完全には消えてなくて、

だけど、その傷を癒したのは、

その間にロジックを学びながら経験した自分の体験や経験だった。



さらに、自分の中の見たくない部分を認めるという事が、

私を見てる他者にも何らか影響を与える事も、

何となく見えてきている。



今回の事象は、

いろんな人間関係に反映できる気がしてます。



そして、それはあまりにも、ロジック通り。


私が何に傷ついていたか、

家族も含めて組織っていうのは何なのか、

そこにどう関わればいいのか。


そういうのを俯瞰して見ることができるのは、

やっぱりロジックのお陰。



見たくない部分を避けて、見ないように生きるより、

例えキツくても、そこを積極的に見ようとしている人を応援したい。


そのキツさの先に、それまでにない景色がまた広がっているのを知ってるから。



と言うわけで、、、

今後は今回の事象を絡めて、ロジック発信していきます。


もしかしたら、

この機にブログを ameblo に変更するかもしれませんが、、、

そしたら、またお知らせします。


文句の構造

最近、すっかり暖かく、春めいてきましたね!

花粉症持ちとしては、辛い時期でもありますが、、、

暖かい空気感は、身体が緩んで気分がウキッとなっています♪




さて、今日は、【文句の構造】について。

ちょっと分かったことがあるから書いてみます。


先日、ある方が、

「◯◯さんから、いつも文句を聞かされて、嫌になる!

そんなに文句ばっか言ってるなら、じゃあどうしよう?が必要だと思うけど、

本人は承認して欲しいだけだから、「愚痴聞いてくれてありがとう!」ってスッキリして、

満足していて、、、それでいいのか!って言いたくなる。」

という話を聞きました。


それで、文句や愚痴や不満について考えてみた。


誰だって、思うようにいかない時、

文句や愚痴や不満が出る。


その中には「分かる、分かる!そりゃ、文句も言いたくなるよねー」って共感できるものもあれば、

聞いてるだけで疲れちゃうただの愚痴もある。



文句って、今の状況への不満である事には違いない。

だから、そのまま聞くと「そんなに嫌なら何かを変えればいいじゃん」っていいたくなる話に聞こえる。


だけど...

いや、違うな。


文句、特に、周りを変えようとする文句。

周りへの不満を言えれば、スッキリするような文句。


これって、、、

本心は、その状況を続ける為にやってる行為。


何かを変えたいんじゃない。

変えたくないから、文句を言って、発散、息抜きしている。

現状を変えない為に、少しでもストレスを軽減しようとする為のもの。


そうやって、何とか変わらない状況を必死に保っている。


だから、それも、その人の変えたくない!って望みを叶えている無意識の行動という事でもある。


そう思ったら、無意識ってすごいなー!と思った。

どうやったって、その人の望みを叶えるんだね。




それで、もし、本当にその状況が嫌だったら、、、

文句言って、発散して、スッキリするレベルでは終われないんじゃないかな。



さらに、変化を積極的に受け入れられるんだったら、

文句出たら、その文句を利用する為にしっかり浸る。

それは改善点で、ある意味可能性だったりするんだもん。

だから、ただ発散してたら、勿体ない!

(↑これは、あくまで、私の捉え方。すんごい貪欲だなーと思う。笑)



私の脳内は、そんなだから、、、

ただの発散の愚痴って、たぶん聞き流してる。

結果、相手もあんまり言わなくなる。

手応えなさ過ぎなんだと思う。



だけど、もしそこが聞き流せないんだったら、、、

それは、自分の中の不満とか愚痴をちゃんと感じてあげてないのかもな〜

とも思います。

そんで、それに対して、じゃあどうしよう?を出来てない自分に、

「それでいいのか!」

って言いたいのかもね。




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自分を超えた所で共有してるのが、本当の所

前回の記事の続き。
(青文字は、前回の記事の抜粋)


私は、出来たら、みんなの願いを叶えたい!!

と言うのが、根底にある。
(いい人ぶってるみたいで嫌だし、そんなん持ちたくないけど、あるからしょうがない)



って書きました。



で、、、

これって、いい人ぶってるわけでも何でもなくて、

誰しも根底にある想い。


”誰かの役に立ちたい”

って言うのも、同じ。



承認したいも、されたい、も同じ。



人間が自分を「私」と認識するには、

絶対に周りが必要な構造だから。



「私(自分)」は、常に見られる側だから。

自分で自分は見えないから。



だから、無意識だとしても、誰かを意識せざるを得ない。

それは、自分を確認するのと同じ事。



だけどね、それを目に見えている事だけで、どうにかしようって絶対に無理。



相手に放つ言葉

相手から受け取る言葉


その字面だけでは、何も分からない。

それは、ただの情報でしかない。


相手に「どういうつもり」で放ったか?

相手の言葉を「どういうつもり」で受け取ったか?


それが確認できるのは、

自分の感覚の中にしかない。


その感覚に「誰か」を入れると、

途端に鈍る。



だから、相手のためを想って、、、

とかって、わざわざ相手に言う必要は全くなくて。



自分は、こう思うよ!

自分は、こうしたいからするね!

以上。


それが、相手のためになってるの。

すでに。




それが、前回の記事で書いた、トラップの部分。


私の場合、あいつのせいだ!とかいう方向に昔からいかなくて、、、

自分のせいだ!の方にいくタイプ。

でも、それは方向が違うだけで、どっちも同じ意味。


だけど、それは、トラップだったね!




何で、トラップだったかと言うと、

相手が求めてることと、自分の想いの不一致が起きた時、

相手の求めている事をした方が、

相手の為になってる気がしちゃうから。

だから、自分の想いを通すことは、わがままな気がして自分を責める。


かと言って、相手を言い負かすように、

自分の想いを優先させるのも違う。

自分の方が正しい!あいつが違う!って責める。


それは、どちらも、ただ見えてる事、字面に反応しただけ。



自分の想い。

自分のしたい。


ただ、ただ、それをハッキリさせてく。

そこの純度を高める。


そこに”誰かの目”を入れない。



もちろん、周りの素敵な人やものに対して、

参考にしたり、憧れたりするのは、全然悪くない。

参考にしてもいいけど、参考にしてる自分を知っておく。

憧れてもいいけど、そういうのが好きな自分を知っておく。

それも含めて、自分の想い。



そうすると、、、、

誰かの想いも、同じ所から出てるのが分かるよ。


私や、あなたや、あの人、この人、


を超えた所。


みんなの願いを叶えたい!!



自分の願いを叶える!!


これは、同じところに作用してた。



って、そういう意味。




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