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RAY BASE 〜 今を楽しむ身体へ〜

レイ ベース へ ようこそ!!

2014年06月の記事

自分自身を肯定すること。

「愛は、自分自身を肯定すること。」

この言葉の意味するところは、とても奥行きが深いなーと、ここ数日の自分の中のやり取りから感じています。
ただ字面を見て、「そうそう、だから自分の好きな事だけやればいいんだよね♪」って事とは、全然違う。
肯定とは、好きな事なわけじゃなくって、単純に認めること。

じゃあ、何を認めればいいのか。まずは、自己の感情を認める。
が、この自己の感情を認めるというのが、実はかなり難しい。

難しさの大きな原因の一つに、宇宙のトラップとして(自分で自分は見えない)という大前提がそもそもある。
まずは、この構造を理解して、そこに疑いがなくなること。
これに気づくと、かなりの衝撃を受ける。価値観がひっくり返る感覚を味わうはず。

今度は、その立ち位置から、物事が始まっていく。
それでも、ついつい「役割と自己」が同化して、役割を満たすために思考する自分がいる。
でも、自分の満足は、役割ではなく『自己』を満たすことで感じるもの。
どれだけ、役割を満たすために思考し、行動し、周りに承認されたところで、本当の本当の本心は、納得なんてしてくれない。もちろん、他者との比較で得られるようなものでもない。

じゃあ、その本心(自己)から沸き起こる感情を認める(肯定する)には、どうしたらいいか。
だって、自分自身は見えない側(潜在側)に存在するのに。
どうしたら、分かるのだろう。。。

で、その時に利用するのが『他者』なのです。
「他者を変えるのではなくて、他者を借りて自分の意識を解放する」
ということの意味。
他者と対峙したとき、自分の中に沸き上がる感情をよくよくみると、それは実は他者ではなく、自分へのメッセージだったりするのです。
目の前の事象の善し悪しを追いかけていては見えないけど、その事象から沸き起こった感情から見える自分の想いにフォーカスすると、自分の本心が見えてきます。

先日、他者に対してあるネガティブな感情が沸き起こる事象が起こったとき、その事象を書き出して、自分は他者にどういう想いでその感情が沸き起こったのか探ったところ、
「嫌なら嫌でいい。」
「下手でもいいから、試す気持ちで取り組めばいい。」
という言葉が出てきて、
あーーー、これは、今いち覚悟の決まらない自分に対するメッセージだ。と、気づいたわけです。
目の前の事象は、さらに俯瞰してみると、自分にまったく当てはまる。
「私が他者にこう想うように、宇宙は私の状況にそう想っているんだなー。」
私の感覚で言葉にすると、こういう感じ。
それが分かったら、起こった事象や他者に対してどうこうしようという気もなくなりました。

行動するべきは、事象に対してでなく、ビジョンに対して。
その行動が、自分の経験となり、自分を愛する行為になる。