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RAY BASE 〜 今を楽しむ身体へ〜

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2014年10月の記事

「ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古」と、グルジェフの「良心」。

先日、kayoさんと「ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古」という映画を観てきました。
演出家ピーター・ブルックの創作現場を撮ったドキュメンタリー映画です。

私は、演劇をする人ではないですが、彼の言わんとすることは演劇を超えてるので、その意味を探りながら聞くのに、ものすごーく集中して観てました。

人によっても、その時々によっても、印象に残る部分はそれぞれだろうと思うけれど、今の私には、下の言葉が印象に残ったので、紹介します。


『演技はいつも喜びに溢れている。皆も経験したことがあると思うけど、いわゆる演技や芝居と呼ばれるものには必ず観客と一体になれる瞬間がある。突然 自由な何かに包まれかつてない喜びが生まれるのだ。日々の生活でも その喜びを味わえたらいいが、聖人でもなければ無理な話だ。でも集中した芝居の世界の中でならほんの一瞬だとしても感じられる。だから即興をする時でも大きな違いは ないんだ。喜劇でもシリアスな劇でも自分の中に喜びがある。力量に依存したコメディには生命が宿らない。技術に頼った悲劇にも命は吹き込まれない。言葉にできないし分析できないことでも、感受性を発揮すればいい。役者が 自由さのなかで芝居の世界に没頭することで得られるあの感覚だ。「集中しなくちゃ」と言い聞かせてもダメだ。世界観に没入している感覚を喜びに変えるんだ。これが芝居の喜びだ。』
(映画「ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古」より)


中でも「喜劇でもシリアスな劇でも自分の中に喜びがある。」という言葉。

自分の感情を達観し出して、積極的に認める姿勢が出てくると、
その沸き起こる感情を感じることこそ、生きる喜びなんだなー、
って、わかる。
それは、どんな感情でもいいんです。素直に沸き起こる感情なら。

ようやく、その構造が腑に落ちてきたので、先の言葉が印象に残りました。


、、、、、って、
ここで終わっとけばいいんですが、
今日は、欲張りに、もう一つ。

ピーター・ブルックについて少し調べていたら、「グルジェフ−神聖舞踏」というドキュメンタリーを製作していることがわかって。
Primal ray で聞いた名前だな〜と思って、グルジェフのウィキペディアにそのままワープ。

そこに載っていたグルジェフの説く「良心」が、これまた印象に残ったので、紹介します。
ピーター・ブルックの言葉ともリンクするところがあって、
つまり、この辺りが、今の私にひっかかるところ、なのだな〜。


『良心』
グルジエフは、道徳もしくは社会的良心とは別個のものとしての「良心」の重要性を説いた。

「良心という概念と道徳という概念は、互いにまったく無関係だ。良心とは、普遍的かつ不変のものだ。それはすべての人間のなかで同一だが、緩衝器[自分をありのままに見ることを妨げるもの]がなくなってはじめて、それを感じられる。さまざまな種類の人間についてあなたが理解できるよう、ここで言うのだが、内側に何の矛盾もない人間にとっての良心というものがある。そのような人間にとって、良心は苦しみではない。それどころか、それは、われわれには理解できない、完全に新しい質を帯びた喜びだ。だが、数千もの小さな「私」からなる人間にとっては、良心の一瞬の目覚めさえ、苦しみをもたらさずにはいない。だが、そうした良心の目覚めの瞬間がだんだんに長くなり、そして当人がそれを恐れるのではなく、むしろ歓迎し、それらの瞬間を長引かせようとするなら、微妙な喜びの質が、それらの瞬間に宿されていく。それは、未来に得られるかもしれない、曇りなき良心の先触れだ。」(ウスペンスキー『奇跡を求めて』8章に引用されたグルジエフの言葉)」