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RAY BASE 〜 今を楽しむ身体へ〜

レイ ベース へ ようこそ!!

2014年11月の記事

ここまでのこと。

一度目の反転のもととなる体験は、社会から求められている自分、それに必死に合わせようと生きてきた自分、を「うつ病」ギリギリで手放した時。
周りの大人達の意見を遮りつつ、自分なりに、見えない道を手探りで歩んでいるような気分でいました。
確信なんてないけれど、それまでの押しつぶされるようなプレッシャーからは解放されて、それだけでも自分の決断に後悔することはなく、最初はすごく軽やかな気分でいた気がします。

そのうち、Primal Rayのロジックで、世の中の構造を知り、腑に落ちて「自分の意識を体験している」という概念で生き始めます。

そうしたら、解放された軽やかな気分だけで、過ごすわけに行かなくなり、向き合う事象は次々出てきて、その度に、気づいて解放していく繰り返し。
向き合っている最中は、何度となく泣き、なんでこんな目に?と思うこともありました。
でも、「自分の意識を体験している」という、絶対のルールが概念化されてる(概念化しようとしている)から、目を背けたり、誰かのせいにする無意味さも分かってて、いい訳もできず、もやもやをただただ一人抱えている状態の時もあって。
そのもやもやは、自分で気づいて解放したり、自分の準備を整えることでしか解消しようもないので、ある意味で時に孤独な作業でもあります。

自分の先手(ψ5)で行動して、うまくいく時、いかない時、の両方の(ψ6)を意識的に取り組んできて。
それが、自分の体験になり、経験になっていき、
そもそも、その「OK」「NG」を判断している自我の存在にようやく気づいて二度目の反転。
そこから、かなり奥に隠れていた自己否定を解放できました。

これまでの間、私はずーーっと、自分でやってきたと思ってた。
自分で思考して、行動して、見えない道を手探りで歩んで、今の自分がいるんだ!と。

でも、自我の存在に気づいてから、起きてくることに対して、言い訳したり、大義名分立てずに、ただ見てみると。。。
自分でやってきた、切り開いてきた、と思っていたことも、どうやらそうではなかったようで。
ただ、起きることが、起きていただけ。
そもそもある、でっかい流れに乗ってただけだったんだーー。
それを自我が自分でやってる気になってただけなのか。
もちろん、それすらも必要なプロセスだったわけだけど。

えーーーー?!って感じですよ、本当に。
なんだか、拍子抜け。。。

だけど、これでようやく、全面的に信頼できそうな気がします。

「あるがまま」