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RAY BASE 〜 今を楽しむ身体へ〜

レイ ベース へ ようこそ!!

2016年01月の記事

潜在側の理由

前々回のブログで、
学校の仕事を続けていた一番の理由はズバリ「お金」と書きました。

でも、これは、あくまで顕在側の理由です。
意識できる側というか「○○だから」って言語化できる理由。

でも、それだけだったら、たぶんとっくに辞められてた。
だって、その手段はいくらでもあるから。

だから、言葉で言えるような理由って、実は大したことないんですよ。

私が学校の仕事を辞めたいと言いながら辞められなかったのは、
実は潜在側が止めてたから。
この止めている「元」に気づいて認める必要があったんです。

でもね、これに気づくのって、すっごく難しかった。
辞めたい気持ちはめちゃくちゃ認めてても、どうして辞められないのか、、、
自分でも理由が全く分からない!!
私はその話になると、いつも必ず泣けてしまって、
でも、なんで「泣く」という反応になるのかも、分からなかった。
それと向き合うのは、すごく大変で、自分の事なのに、なぜだか全く分からない。

ただ、そこを見抜かないと、何やっても同じになるってことだけが確かだったから、
それで辞められない状況が作られてた。

でね、ある時に「泣ける」原因に気づいたわけです。

それは「親に認めてもらえなかった」という想いと、
辞めるという事象がくっついてたってこと。

「あーー、私、親に認められたかったんだなーー」って、
その事に心底気づいて、その想いを認めてから、、、
学校の仕事を辞める話になっても「泣ける」という反応がなくなりました。

このことで「誰か(他者)に認められたい!」っていう自我の根本的な欲求を、
認めて手放した気がします。
意識の「自立」をしたわけです。

そして、それを手放してから、
より自分の素直な想いを、そのまま感じられるようになりました。
自分で自分の想いを認められるようになると、
他者から認められる必要はなくなります。

そうやっていうと、もう他者を必要としなくなるのか、と自我は考えるんですが、
全くそうではなく、むしろ逆で、
素直な自分を認めれば認めるほどに、他者もそのままを認められるようになる。
「自分が他者から認められたい」んじゃなく、「自分が他者を認める」ようになる。

これって、すごく大きな違い!


でも、このことに気づくのに、方法論はありません。
ただ、自分でそこを見続けるだけ。
「もういい加減、どうにかしたい!」ってとこまで、見れるかどうか。
お話を聞くことは出来るけど、最終そこだけは、自分で見抜くしかないところです。


※以下、余談です・・・

こうやって書くと、ひどい親の元で育ったみたいに思われるかもしれませんが(笑)
今日の記事のことに気づいた時に、私が親と仲が悪かったかって言ったら、全くそんなことなくて。
むしろ、現実的な関係性は、昔も今も変わらずに良いと思います。
愛情もいっぱい感じるし、感謝もしてる。

だけど「親」ってゆう役割は、
どこかで「子ども」にとっての「自立」の対象になるんです。

経済的な問題の話ではなくて、
意識的な「自立」の話。

考えてみれば当然で、
子どもを最初に認める他者は「親」なんですから。
子どもにとっては、一番大きな影響を受ける他者です。

でね、「親」が自分の親からの意識的な「自立」をしていたら、
子どもがそれをしようとしてるのわかるから、
その時に自分(親自身)が大きく傷つかなくて済むと思う。

もしくは、傷つかないために、
自立させずに依存させることもない。

だから、今生きてる人間は、だれもが誰かの子どもなわけだから、
自分にとって「親」という記号が見せてるもの、感じさせること、
それを認めて意識的な「自立」をすること。
そこから、解放されること。

それだけで、だいぶ自由度が増す気がします。