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RAY BASE 〜 今を楽しむ身体へ〜

レイ ベース へ ようこそ!!

2018年12月の記事

いくつかの段階。

前回の記事「自分なんていない。」の続き。


「自分は居ない」


という本意がおぼろげながらでも感じられるには、、、

いくつかの段階があるように思う。


人間が最初から「自分は居ない」感覚になっているのは、

産まれたての赤ちゃんくらいで。


人間は、そこから周りの物を認識して、

そして、それと自分との関係性を学んでいく。


ただ、その間にどんな概念や価値観を身につけていくかは、

周囲の環境に大きく影響を受けていて、

そして、その中で、そういうものだと学んでいくのは、

紛れもなく自分がしている。


それで当たり前に形成される自分という感覚は、

良いものでも、悪いものでもなく、

それ自体は、自然なこと。


ただ、ある人が身につけた自分の価値観と、

ある人が身につけた自分の価値観。


同じ「自分の価値観」という言葉で表現できるし、

周りとの関係性の中で身につけてきたという過程は同じだけれども、

そこで何を学んで、どんな体験、経験をして、

「自分」を成り立たせているのか、

という事において、同じは一つもない。


そして、それは、絶対的なものではなくて、

あくまで、学んで、身につけてきた事。

それが重要だと認識したのも、自分。


自分を通して見える全ては、

この価値観を通して見えている。


そして、その見えている前面は、

他者とも共有している部分だから、

他者も同じ物を見ているんだろうと、

無意識のうちに感じてしまう。


だから、他者に

なんで分かってくれないの?

と思ったり、

他者から認められることを求めてしまう。


でも、それをやっているうちは、

自分を成り立たせている価値観そのものは何なのか?

という方向に意識が向かない。


通している自分というフィルターそのものには気づけない。



では、どうしたら自分に気づけるか?


それには、どうしても勇気と覚悟がいる。



自分は、こうしたい!

自分はこういうつもりで、こうしている!

自分はこうなりたい!



周りの関係性など一旦無視して、

それをめいいっぱい採用する事。


”自分は居ない”

なら、何もする必要がないんじゃなくて、、、

そこは、実は、全く真逆。


自分、自分、とにかく、自分。


誰のせいにも出来ない中で、

自分の想いを貫き通そうとしてみる。


周りとの折り合いの中で過去に身につけてきた価値観と、

その自分の想いとは、そぐわない部分もきっとある。


誰かを傷つけるかもしれないし、

自分も傷つくかもしれない。


うまくいくのか、いかないのかも、

やってみるまで分からない。


それでも、自分の欲求に素直になってみる。



そうすると、

何が見えるか。



自分の欲求が叶う時と、

叶わない時があることを知る。


どんなに、どんなに、どんなに頑張って努力してみても、

どうやってもうまく行かないこともあれば、

不思議な展開で、物事が進んでしまうこともある。


そして、その間に様々な思考や感情が湧いてくる。


誰のせいにも出来ない中では、

その全部が返ってくる。


それは、やってみた先に見えること。


自分がやっている自覚があるからこそ、

周りのせいにせずに受け取められること。


こういう想いで進んでみたら、こういう展開になったけど、

この展開は誰がしたの?


私はただ起きることに対して反応しているけれど、

起こしたのはそもそも誰?



自分、自分、自分、自分。。。。


それを突き詰めていくと、


見えてくるのは、自分がしていないってこと。



自然の営みと同じように、

全部の存在と同じように、

私が存在していたと知る。


そこには、一切の理由も、目的も意義もない。

「私」という感覚からしたら、すごく怖い事かもしれないし、

意味が分からない事だとも思う。


だけど、軽やかに行動も欲求も起きる。

喜怒哀楽の全ても、鮮明に感じる。

私の感覚もあるし、他人を認識することもできる。


だけど、私がしてないっていうのが根底にはある。

全てが全部の一部だし、生かされている存在。


その本意は、ここにきて、

初めておぼろげながら、

あーそういうことなのかなって、

どこかで感じられてくることかもしれない。




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